リンク:飯山観光局ホームページ
信州いいやま寺巡り:ロゴ
七福神巡り

七福神巡り

飯山市の町内に設置された七福神をお回りいただき、ご参拝ください。
七福神は”商売繁盛、人望福徳、不老長寿、結婚安産、勤労勉学、勇気授福、愛敬富財”の福が授かるとされています。御利益にあやかりながらの散策をお楽しみください。

七福神巡りコース

七福神巡りコース

旅の記念に!七福神色紙を完成させよう。

色紙 七福神のお寺を巡ってご朱印を集め、いいやま七福神色紙を完成させましょう。
※ご朱印押印代として、七福神が安置されている各寺社等でご朱印をいただくごとに100円ずつご奉納ください。

ご朱印の受付時間 午前9時〜午後4時
七福神寺社ではご朱印の受付時間内でも法事等の都合で不在になる場合がございます。その場合は、飯山駅観光案内所でご朱印を預かっておりますので、そちらで代理押印いただくこともできます。
※飯山駅観光案内所でのご朱印帳への記帳は対応できかねますのでご了承ください。

いいやま七福神巡り色紙 600円(税込)

●ご朱印を押したものもご用意しております。
≪ 色紙完成品 ≫ 2,000円

●色紙等販売場所
・信越自然郷 飯山駅観光案内所 TEL 0269-62-7000
・飯山市伝統産業会館 TEL 0269-62-4019 
【月曜日休館 ※但し月曜日が祝日の場合翌日】
・寺巡りお休み処奥信濃 TEL 0269-63-2950 
【火曜日休館 ※12月〜4月中旬閉館】
・七福神安置各寺社 (販売していない寺社もあります)

いいやま七福神のご案内

福徳の神として信仰される七神。恵比寿、大黒天、布袋、福禄寿、毘沙門天、弁財天、寿老人です。古くから福神として信仰されていた性格の異なる神々を、七という聖数にあてて一組に取り合わされたものですが、その成立は室町時代頃といわれています。近世以降絵画や彫刻の題材となり、庶民的な存在となりました。そして宝船等の習俗や地方芸能に伝存され、親しまれています。


いいやま七福神

大黒天 福徳富貴ふくとくふうき常福寺じょうふくじ 曹洞宗

大黒天は、もとインドの忿怒の魔神で「マハーカーラ」と言われシヴァ神の一化身であるとされています。日本の大黒天信仰は密教が伝えられた平安時代の頃からで、中世以降は神仏習合思想の影響を強く受けました。大黒天の頭巾を冠り、袋を背負い、小槌を持ち、俵を踏む形相が、日本古来の神である大国主命の、その袋を背負った形と近似しており、また大黒と大国と音が近いところから同一視されるようになり、"三寶(佛・法・僧)を守護し、飲食を豊穣にして福徳を与える神"として尊崇されました。室町時代になると福の神とみなされ、さらに吉祥を招く七福神の一神となり信仰を集めるようになりました。曹洞宗寺院に於いて庫裡の出入口、典座寮(台所)の側に韋駄天と共に安置され、毎朝大黒尊天神咒を二十一遍唱えながら三拝しています。
大黒尊天神咒
飯山藩主、佐久間備前守が、城下町経営のために市内小境から寺領を与えて移転したといわれています。飯山藩主の信仰の厚さがうかがえます。


いいやま七福神

弁財天 芸道富有げいどうふゆう本光寺ほんこうじ 日蓮宗

財産をもたらす神で弁財天と言われ、略して弁天とも呼ばれています。もとはインドの水の神で、河水の流れる音から美音天などと呼ばれ音楽・芸能の神、よどみなく流れる姿から弁舌才知の神とされ信仰されています。ヘビを使者とし、白蛇を飾った宝冠をいただき、その姿の多くは琵琶を持った美しい姿です。
岩井備中守信能が、飯山城を築いた時、居城山口城にあった七面大明神を飯山に遷したのが始まり。四季折々の美しい花々の咲き乱れるこの寺に、野田喜佐衛門の墓がある。喜佐衛門は、松平遠江守忠倶により大阪から招かれ、数々の用水を開設、現在の飯山水田をつくった。


いいやま七福神

福禄寿 人望福徳じんぼうふくとく英岩寺えいがんじ 曹洞宗

福禄人とも言い、幸福と封禄、長寿を兼ね備える中国の福神です。一説には南極星の化身とも言われ、頭は長く、背は低く、立派なあごひげをたくわえた年齢千年の仙人です。長寿のしるしである鶴と亀を従え、経巻を結んだ杖をついた姿で表わされています。日本では、室町時代以後、七福神の一神に加えられました。
初代飯山城主泉重信の菩提寺。飯山で最古の寺。謙信の直臣で「鬼」と呼ばれた、槍の名人小島弥太郎は、川中島合戦で深傷を負い、春日山城へ帰る足手まといになると自害して果てたといわれています。その墓があります。


いいやま七福神

毘沙門天 勇気授福ゆうきじゅふく大聖寺だいしょうじ 曹洞宗

四天王の一人、北方守護神の多聞天です。四天王は、古代インドの神であり、日本では仏教の守護神として信仰されています。多聞天は夜叉や羅刹を従えた神将で、富の武神とされ、日本に於いても同様の信仰を持つようになり、四天王とは別に単独で信仰される時に毘沙門天と呼ばれます。近世になり財産の神として福神に入れられています。
飯山城主堀、佐久間両氏の菩提寺。木曽義仲の臣、今井兼平の子孫の創立。多くの被害を与えた善光寺地震の供養地蔵や、明治初年、山岡鉄舟が正受庵再興のために訪れ滞在した時の、雄渾な筆跡が残っています。


いいやま七福神

寿老人 延命長寿えんめいちょうじゅ明昌寺みょうしょうじ 曹洞宗

延命長寿を授ける神。もと中国宋代の人と伝えられ、その人が偶像化されたものと言われています。
中国の俗信仰による長寿の象徴である玄鹿を従え、人間の寿命を司る書き物を巻き付けた杖を持つ姿で示されています。南極星の化身という福禄寿と似た性格を持ち、しばし同神異体とみなされています。
明照寺ともいう。大聖寺末。太田村北条より現在地に移った。現在の明昌寺は、東本願寺系の説教所(お田屋)を解体し、それを主体に再建したという。


いいやま七福神

恵比寿大神 愛敬富財あいけいふざい飯笠山神社いいかさやまじんじゃ

恵比寿大神は、大国主神の御子で事代主神とも言われております。笑顔で漁業に取り組んでいる姿から、全ての職業に於いて"懸命に従事する事により利得を得よ"と諭されています。後代より商売繁盛の神様として大黒天と共に庶民に親しまれ、特に江戸時代より商人(農民・漁民)の守護神としてえびす講祭が始まりました。
当地方最古の社といわれている。飯山城の守護神として歴代城主から手厚く尊敬された。当地方の総鎮守として広く尊敬されている。この社の附近は縄文時代の住居跡もあり、縄文、弥生時代の土器類が多数出土する。慶長3年、時の城主上杉が飯山より米沢に移封される時に、当社から御分神を受け、米沢宮内に社を創建する。現在、東北地方の大社として尊敬されている。


いいやま七福神

布袋尊 清廉度量せいれんどりょう忠恩寺ちゅうおんじ 浄土宗

中国梁の頃の禅僧で布袋和尚と言い、また弥勒の化身とも言われています。大きな袋をかついで諸国を巡り、吉凶を予知して歩いたと言われています。宝の入った大きな袋を背負い、人々に金銀財宝を与える福徳の神として信仰され、福徳円満の相を備えていることから宋画の好題材とされ描かれています。
木立に包まれた本堂、破風の見事な庫裡。忠恩寺は、さすがに格式を今に伝えている。松平、本多両氏の菩提寺。閑静な境内に加え、歴代城主が眠っている墓所がある。宝物の黒本尊阿弥陀如来像は、徳川家より拝領したものです。